・毎日、今日が人生最後の日かもしれない、と考えるとすれば、いつか必ず、その考えが正しい日が来る
・もし今日が人生最後の日だとしたら、私は今日やろうとしたことを本当にやりたいだろうか
スティーブ・ジョブズ
これはインディアンの「今日は死ぬにはいい日だ。」と同様に言葉通りの意味ではないと思っています。
朝、鏡を見て「今日が最後の日だったら今自分がやろうとしていることは本当にやりたい事なのか」というコトは「貴重な自身の時間を注ぎ込むに十分な内容なのか、効果的か、もっと楽しい(自分を最大に使える)事はないか?」
それだけの事なのではないか思います。
冷静に考えれば1日で出来る事なんて限られていますし、継続しなければ成果が出ないなんて事は小学生だって分かります。
本当の意味で今日が最後の日だとしたらなんて考えたら犯罪も視野に入ってしまうケースもあるでしょうからね。
極論ではありますが、日々の積み重ねは「最後かもしれない今日」をどのような密度で送れるか、どんな気持ちで過ごしどんな行動や思考でいるかが重要だと思います。
視覚や触覚、感覚から得た情報をどのように処理するか。by IMAKARA
これは行動するかしないか、変えようとするかしないか。
日々の生活の中に隠れる成長点を見逃さないか否か、どのような視点で新たな情報を捉えようとしているか。
器の育て方とも言えるかもしれませんね。
かみ砕いて言うと
・言われなくてもやる人
・言われてやる人
・言われたからやる人
・言われてもやらない人
という感じ、
しかし別にどの項目も褒めたり貶しているワケではありません。
言われなくてもやる人は少ない情報から答えをすぐに見つけて最善手を常に探るけど自己完結しやすいので自分の想定以上になれないから固定観念に囚われがちだし、
言われてやる人は素直で成果の為に努力出来るけど自分で考えなくなるから指示待ちになるし、
言われたからやる人は行動力はあるけどそもそも言われた事を考えないでやり始めて達成しないまま終わった感を出して自分の判断で次に勝手に進むし言われてない事するし、
言われてもやらない人は情報の取捨選択が上手いけどチャレンジしないから変わらないし変わろうとしていないし出来ないんだから言うなって逆切れするし、
何にでも一長一短ありますね。
さて、ここから本題
日々の社会生活をより豊かに送る為、
①長所を伸ばす為に必要な知識を毎日取り入れ、短所を補う為の方法を常に考え、得た知識を失わない工夫。
を、いつでも念頭に置いて日々を過ごす人と
②これという意識を持たず、とりあえずハイハイ言って、誰かを愚痴って、人の幸不幸に一喜一憂。
しているだけの日々を過ごす人にはどんな違いがあるでしょう。
①の人は毎日の積み重ねが①の人を強くすると言えるかもしれませんが
②の人は毎日の積み重ねで逆に弱くなっていきます。
弱くなるのはダメだという話ではありません。
ヒトは弱いです、強くなろうとす必要ありますが弱いままでいいと思います。
なぜ自分はこれだけ努力しているのに強くなれないのか、知識を得る事が出来ないのか、常識知らずなのか、誰でも知っている事を知らないのか。
漫然と日々を過ごしているからです。
昨日と同じ日にしようとしているからです。
同じ事をして一日を消費して向上するワケがありません。
私は足りないものだらけなのでやってもやり足りませんし、きっといつか「足りた」時が来ても自分が納得するビジョンは見えないので、一生やり続けたいと思います。
足りないから出来ないのではなく、
出来ないと思う自分こそが最大の障害のハズです。
積み重ねられる大人でいたいものです。