後でやろう。
と
めんどうくさい。
という言葉と行動を意識的に使わないようにしています。
この言葉を否定する訳ではありません。
面倒だなぁと思う気持ちから産まれる発明があったり、
別の事で経験を蓄えてから行う事でより高い効果を出したりと、捉え方の問題だと思うし、こうした視野を狭くする行為は本当はあまり好きではありません、が、
私の性格上この2つのワードを使うと「自分らしさ」が無くなる事件が頻発する事が分かっており、
留意しております。
- 些細な事であるほど「後でやろう」としたら思い出せなくなる。
- 手書きで書いて「見た時にやるハズ」のメモの字が読めなくて思い出せない。
むしろメモを無くしその事象は「無かった」ことになってしまう。 - 「面倒精神」はあくびのように伝染する、いつのまにか面倒人間ばかりに。
などなど、
実はもう少し書きましたが書きすぎると愚痴みたいになるのでここでSTOP。
今の自分のパフォーマンス・思考・熱量だから「自分さん」は今やろうとしているのだが、今やる事を優先にして終わってからさぁやろうとしても既にそこに熱意はないので、思考全容は保持出来ないままモヤモヤが残り「後でやろう」としてももう同じ事は二度と出来ない。
思い出せば同じような事は出来るが、思いついた瞬間に出来る事と情報精査して出来た事は似て非なるモノ。
今の自分と明日(未来)の自分は別の人。
メモだけ書いて丸投げ?なんて無責任な人だろう、仕組みはどうする?手順は?どんな段取りで予定感は?予算は?字も汚いし…。
これを自分で自分にやっていると考えると結構ウケます。
なんにせよ思いついたら、私がそう決めたなら、結論がどうあろうと
面倒だろうがなんだろうがいつかやるんです。
(そもそもその先を見ているなら本来面倒でもなんでもありません)
一度やろうと思った事は
今なのか明日なのか1か月後なのか10年後なのか分かりませんが
いつかやるんです。
「今日は死ぬのにいい日だ」までは厳しい。
ワリと軽く済む上にここまで未来予知が出来ている「やっておけばよかった、面倒くさいなぁ」なんていつでも出来るようなコトなのなら
どうせやる事は今やればいい。
そんな自分ルールのお話。