う、上手すぎる。
銭湯あがりで牛乳…ではなくソフトクリームをチョイスする娘。
自分で巻ける機会はそれほど多くなかったと思うのですが、いったいどこでこんな技術を獲得したのか。
カップの底から見ると5巻きはある、終わり方も美しい。
一通り褒めちぎった後、どうすればそんなに上手に出来るのか聞いたら
「でしょ、あのお姉さんたち上手だったから真似した」
との事。
そうか~食い入るように見てたからね。
見てれば…いけるよね!…とはならない。
深く興味がある事だからこその考察、観察力と吸収力を発揮したのだろう。
「そろそろ自分の番だ!」とワクワクしているだけならアイスクリームを食べる楽しみやどのような形にしようか考える事に全集中するので、自らの想像や技能を超える事はそうそう起きない。
「せっかくならたくさん食べたい!」ならば、とにかく積み上げる事を考えるでしょうから、観察はする事もあるでしょうが、仕舞いよりも物量!となり手に付けそれを舐め取りながら帰ってくる子供の姿が容易に想像できます。
娘は将来お菓子作りの職人さんになりたいと常々話しています。
彼女は自分よりも技術があると判断した人を観察し、敬意をもって、憧れの目と自分もやってやるという挑戦する心で見て学び、それを実践してみせました。
順番待ちの時間=待つだけのイヤな時間ではなく「学びの時間」にしていた。
親が教える言葉として、体験としての学びとは別に、学びの芽が芽生えたと感じる最高の時間でした。
当然それ以前からそうしていたのかもしれませんが、ここまで甚だしいのは初めて。
相手を観察する事はありますが敬意をもって見る事は出来ているか。
目的意識はあれど、それを行動として可能性を拡げようとしているか。
これは子供だけではなく社会人になっても大切な心構えであり、今も学び続ける私には本当に良い刺激となりました、学びはどこにでもあると言いますが、子供の成長のためにも、私の家族を守る知識を得る為にもこれを見落とさなかった過去の自分もちょっとだけ褒めてやりたい。
大人もやってみようとすればすぐにやれるハズだがやらない。
気持ちがあるだけでは行動は伴わず、言葉にして追い込まれてようやく行動する。
今からやろうと一歩だけ踏み出せば、その後は自然と行動が伴うし、その結果自分の限界を超える瞬間が訪れてくれるものです。
今まで一歩も踏み出さなかった人が踏み出せたら小さな事ですが、それが自身の限界をひとつ超えた瞬間ですから。
私の親としての経過年数と、子どもの年齢はほぼ同じ。
子どもは急成長する、でも親はどうだろう。
いつでも私たちは追いかけ追いつく立場なんだと気付かされます。
いつもありがとう。
ではでは。

