つまり
日本語でおk
というコトだ。
言葉を理解している人だけで使うならば問題は無いと思うし、複数の意味を兼ねているからこそ、意志疎通の短縮にも繋がりこちらの方が良いという場面もあると思う。
複合的な意味を持つ事を理解している人同士で使えば便利だが、その意味の全てを理解していない人に使えば誤解が生まれるし、使う本人も理解していなければやはり曲解されるだろう、さらにこの言葉自体を知らない人と会話している時に使ってしまうと、意志疎通も出来なくなる。
ここからカタカナ語を
誰にでも多用している人
は、相手の事を考えた行動が出来ず、高圧的、自信過剰であり人の意見は聞くが都合の良いようにしか取れない人に見え、信用する事が出来ない。
特徴として自分の知っているカタカナ語を知らなかった人に対しては
「ああ、こいつ分かってないな」
「乗り遅れてるな」
「こんなの当たり前なんだから知っておいてよ」
自分の知らないカタカナ語を使われた時には
「全員が分からないような言葉は使うべきじゃない」
「今理解してるの喋ってるやつだけ」
「子供でも分かるように話せないとダメだね」
明らかに少数派でも「自分は先駆者」という超ポジティブぶり。
完全にブーメランだが本人は大真面目で否定しようものなら敵になってしまうというのだから始末が悪い。
いちいち調べて理解するのも面倒になってくると孤立してしまうだろうが、本人はお構いなしなのだ、なんせ
類は友を呼ぶ
ので、自分の周りには分かっている人しかいないし、そういう人達が「上級」であると確信しているので、同じ感情の人達が集まるし、そうでない人はそこに居られない空気がどこかで出来てしまう。
言葉は常に変わっていく、常に「勉強」し続ける事は変わらない。
時代によって変わっていくからこそ、言葉だからこそ「相手に伝わるか」はとても重要な事で、それを使う人がどういう人なのかを量る指標でもあります。
言葉は一度表に出たら取り消すことは出来ません。
記事訂正とか文章は消せるとかいうコトではなく、記憶に残る為です。
「この人はこういう人」というイメージは一朝一夕に拭う事は出来ません。
注意して言葉は選ぼうと思います。
ちなみに今回はカタカナ語のお話なので、ちょっとお遊び。
①「使い過ぎ」
さて、本日はセンシティブなイシューですので
ディスコミュニケーションとならないようアジェンダをミスリードの無いようライティングお願いします。
お配りしたレジュメにもある通り本ソリューションはドラスティックレビューでワイズ・スペンディングの徹底により強烈なベネフィットを生む…
え?もういい?
ウェルネスとかレガシーも使いたかっt(ry
②「重複している」
解決するソリューション
繊細でセンシティブな問題
イシューとなる課題
ベネフィットによる利益
…etc
使う必要が無い場合はわざわざ使う事は無いと思います。
私は文章もうるさいですが、実際に話してもずっと喋っているので本当に気を付けなければなりません。
まぁコミュニケーションが取れていれば、相手の事を考えて話せていれば、どんな言葉を使っても良きですね。
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