「家なき子」「ひとつ屋根の下」などを手掛けた脚本家、野島伸司のドラマ
聖者の行進の8話の長さんがアツいんです。
1998年の金曜ドラマで内容は知的障害者たちに対する日常的な暴力や性的虐待、バックには権力者、抵抗すれば何をされるか分からない、手が出せない、ならばと様々な手で戦う地方の工場のお話、実際に起きた事件を基にしていたようです。
内容が過激(暴力や強姦)でスポンサーが抜けたり、放送倫理の是非が問われた作品でした、さらに追い打ちでいしだ壱成が2001年に大麻所持とかあったり酒井法子が2009年に麻薬所持で逃亡とか色々あって再放送が無い、いかりやさんのこの言葉を聞くだけでも価値ある時間を過ごせたと確信しております。
葉川先生が親御さん達に騒いでもらう為、日程を決め集まってもらう予定でしたが一人も来ず。諦めてうなだれる葉川先生から出た言葉は
「もっと強くなりたいですね…
…こんな簡単にくじけそうになるなんて」
以下はこの後の宇野弁護士の言葉です。
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強くなることはないです
弱い自分に苦しむことが大事なことなんです
人間はもともと弱い生き物なんです
それなのに
心の苦しみから逃れようとして 強くなろうとする
強くなるということは
鈍くなるということです
痛みに鈍感になるということです
自分の痛みに鈍感になると
人の痛みにも鈍感になる
自分が強いと錯覚した人間は他人を攻撃する
痛みに鈍感になり優しさを失う
いいんですよ、弱いまんまで
自分の弱さと向き合い
それを大事になさい
人間は、弱いままでいいんです
いつまでも
弱い者が手を取り合い
生きていく社会こそが素晴らしい
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・・・
長さんのトーンだからこそ響く、そんな言葉達。
ヒト一人なんてそんな色々出来ないんですよ、同じ目的で集まり、同じ向きを向けばそれで充分です、そもそも強さなんて人それぞれだからその強さもまた違うかw
ただ私の中での「弱さ」は
いざという時に動けない「弱いままでいい」は違うし、
家族を守れない言い訳の「弱いままでいい」は違う。
勝たなければならない時の免罪符であってはいけません、
強者にこびへつらう為の言葉であってはいけません。
「弱さ」を肯定する台詞を取り上げておいてなんですが弱くありたいワケではない。
私は善でありたい、優しくありたい、関わる人を笑顔にしたい。
出来る事を出来る限りでしたい、こうしてみると私は結構欲張りなのかもしれない。
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