武田信玄「為せば成る、為さねば成らぬ。」 – Takeda Shingen.

為せば成る、為さねば成らぬ。
成る業を成らぬと捨つる人のはかなさ

強い意志を持って取り組めば必ず実現できる。(為せば成る)

取り組まなければ何事も実現できない。(為さねば成らぬ)

やればできることでもやらずに無理だと諦めてしまう。(成る業を成らぬと捨つる)

そんなところに、人の弱さがある。(~人のはかなさ)

「風林火山」のイメージで戦上手というか戦のイメージが強い武田信玄ですが、政治的な手腕も高く、内政にも尽力した武将(戦国大名)です。

そこまで彼に詳しい訳ではありませんが、武人としての優しさ、慎重さ、繊細さが込められており、この言葉はとても好きです。

「自分のしたいことより、嫌なことを先にせよ。この心構えさえあれば、道の途中で挫折したり、身を滅ぼしたりするようなことはないはずだ」

という言葉も残しており、誰だってやれば出来る、やり始められないだけ、自分がやりたい事よりも先に嫌な事をやれば、もう進む道にはやりたい事しか残ってない。

なんて、最高じゃないですか。

私は彼のこの言葉に出会ってから、一番やりたくない事から全て片付けるクセを付けた為、やりたくない事をやりたがっている変人みたいに見える時があるかもしれませんが、やらないで済むならそりゃやりません🤣

逆にもしもやりたい事の中で一番やりたい事を先にやっちゃったらイヤな事はもうやりたくなくなっちゃいますね、だから進捗が無くなるんでしょうけども。

そしてこの言葉の中には注意しなければならない点があります。

為せば成るならば、努力は報われるのだろうと思う方もいるかもしれませんが

別のお話です。

嫌な事を頑張って終わらせたから絶対成果が出るのかと言えば

否。

成果を出そうと振り絞って頑張ったから結果が報われるかと言えば

否。

他の人よりも長い時間努力したから…
誰よりも早く終わらせるから…
誰もやらない仕事を率先して受けたから…

否、否、否。

取り組む方向性、頑張る方向性がズレていたら、いくら頑張っても結果は出ません。
身につけた経験が役に立つ事もあるので、頑張る事自体は無駄ではありませんが、目的の結果は出ません。

例えば自分のボールにノビがないので、投げ込むAさんとBさんがいたとします。

Aさんはコーチと話し、Youtubeやネットで調べたコツをミックスし、日々鏡を見ながら手首のスナップや踏み込んだ時の重心などを研究し、投げ込みは一日3時間、後は別の練習にあてます、日曜日は休息と自分の投げ込み動画のチェックと情報収集につとめます。

Bさんは朝も昼も夜も休息もほぼ無く、とにかく投げ込みます。
肩やヒジが痛くなって投げられなくなったら止め、直ったと思ったらまた投げます。

Bさんは投げ込む前と変わったのは凄みぐらいなものであり、球威も球速も恐らく変わりません、むしろ身体を壊し、選手生命を縮めた行為とも言えるでしょう。

そこで自分と比較するとほとんど投げていなかったAさんを見たらメキメキと力を付けているわけです、Bさんは思います

「あいつほとんど休んでるのに…天才はいいよな…!!」

全く違います、努力の方向が違うだけです。

この「方向」さえ間違っていなければ、努力は目に見えた成果が出ます。
むしろ頑張っているのに目に見えた成果が出ない時は「方向性」を疑った方が良いでしょう、どれだけ変化をつけても変わらないなら、環境を変えるだけです。

時間は有限です、しかも若い時間程その度合は重く、元気に動き、効果的に考えられる時間も限られています、不毛な努力に時間を費やしている場合ではありません。

為せば成る、為さねば成らぬ。
成る業を成らぬと捨つる人のはかなさ

強い意志を持って取り組めば必ず実現できる!

ではでは。

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