親から受け継ぎ数十年、奔放な性格から一生結婚する事はないと思っていた私が結婚したいと思える人に出会えた、つまりは良縁に恵まれたという事。
結婚後のひな人形の在り方は家庭それぞれ、親・子どちらが持とうとも大切に取り扱うことで災いが避けられるよう願う方もいれば人形供養に出される方もいます。
私は自身が「ひな人形を出す事が出来ない」体になるか、子供達が欲しいと言わなければ人形供養に出そうと思っているので、もう少し付き合ってもらうつもりです。
子供用のひな人形は別でありますが、まぁこういうのは好きじゃないと出来ませんので未来の子供達次第って事で。
今年も毎年の記録のおかげですんなりと飾り終わりました。
感覚的には徐々に短くなっていくであろう1年に1度の行事を「ちゃんとあんまり覚えていない」事で日々の濃度を薄めていない確認が出来たようでなんだか安心。
三人官女の持ち物がどうにも覚えられない。
銚子を持つのが向かって左で柄付きの銚子を持っているのが向かって右。
開けた時は髪がボサボサになってしまうので毎回ちょっとだけ手入れが必要。
ちなみに人形の秀月は静岡県磐田市の人形一筋16台の老舗。
秀月の歴史
戦国の時代より甲冑師の家系を受け継ぎ代々甲冑師として世に仕える。
戦国時代は終わりを告げ移り行く時代の中、甲冑は実戦品から奉納品・芸術品へと役目が変わる。そのような時代背景を背に甲冑師としての技術・芸術的感性を人形という形に生かし、新たに「秀月」という屋号を構え、世の人々に伝統と技を伝える。代々その技は受け継がれ現在の当主で十六代目となる。しかし、それまでの家系図などの貴重な資料は戦争により焼失してしまった事が悔やまれる。
始まりは戦国時代、400年以上前の甲冑師が実戦品から奉納品・芸術品に姿を変えていく中で自分達もその技術を人形に移し、初代秀月から受け継がれてきた技術を今に伝えている…と。
家系図は戦争により焼失…か、とても残念です。
この写真は京雛。
先ほどの写真は京都以外のひな人形で「関東雛」と呼ばれるもの。
日本では古来向かって右側…つまり左上位とされていたので男雛(殿)と女雛(姫)の位置関係はこのようになっていましたが、国際的な礼儀である右上位にならって100年ほど前から今の形に落ち着いたそうです。
神である天皇が治める国としては冗談みたいな決め方ですが、そもそもひな祭り自体が中国伝来の風習である為、国際的な礼儀にならったのかもしれませんね。
だからといってどちらが正しいといった事はなく、家庭それぞれ人それぞれの気持ちで人形を飾れば良いんだと思います。
男雛の笏(しゃく)は公事でトチらない用のカンペ板で女雛の檜扇(ひおうぎ)も同じ。
何かを読むのもそうですが、形式が複雑で覚えるのが難しそうなので流れなんかも書いていたのかもしれませんね。
各箱のパズルとひな人形たちのスペースを忘れた時用のメモに撮影。
ひな祭り当日までよろしくお願いします🙇🏻♂️
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