生存期間中央値という考え方。余命や生存率という表現は今でもするのだろうか。

少し前に近しい人が重症指定難病でほぼ確定という状況になり、
受給者証も発行され、指定医療機関も決まった頃にこのような表現をされていました。

f/u後に軽症だが分からない事が多い為「高額かつ長期」の指定に変更されましたが、
その時に感じた中央値という強烈な違和感のお話。

余命という言い方ではなく、また平均的な生存率という表現でもない
中央値という値はどういうものか考えてみる。

そもそも身内にすぐ連絡が取れる場合は本人の希望が無い限りへ余命宣告はしないだろうし、
本人の気力を奪わないよう身内からの伝え方が大事なのだろうから

「はっきりと知りたい」し「分かるなら両方」教えて欲しい。

生存期間中央値は6年です、もしくは平均的な生存率は7年です。
と言われても12年のケースもあれば3年という可能性もある。

症状の進み具合からして恐らく余命は10年です、が、
同じ症状の方の生存期間中央値は6年というデータもあるので、頭に入れておいてください。

ならば、覚悟の度合が大きく変わる。
もちろん逆もあるだろうが、それでも同じだ。

インフルエンザの「定点あたり」と同じような気持ち悪さがあるが、
本当に精度の高い情報を伝えようとすると、こうなってしまうのかもしれない。

自分がもしそうなったとして、自分一人ならば良い、今でも少しずつ組み立てているが終活に勤しむのもまた一つだと思っている。自分に出来る事をしながら残された人生を生きれば良いのかもしれないが、

普通はそうもいかないように思う。

国は普段から税金で生かさず殺さずしてくるし、
2025年頃から年金制度のジェンガは崩れ、恐らくミレニアル世代の老後はあまり明るくないように思う。

さすがにZ世代にまで引き継ぐワケにはいかない。

未来への投資は自分の為でもあるし、大切な人達の為にも繋がっていると信じ
今日も変わらず自衛していこうかな。

ではでは。

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