気付くのはいつも失ってから。【知識だけでは気付けない】

「今好きな事をもっと若い時に知っていたら」

「他の人よりも得意な事があったのに、もう年だしな」

「もっと親孝行しておけば良かった」

「なぜ辞めてしまったんだ」

「やれば良かった」

「大人になる前に」「結婚する前に」「子供が出来る前に」

経験したから出来るようになって嬉しいってのは次がある状態が前提で

命や仕事先を含めた関係性、恋愛や人生の環境なんかもそうですが

その決断の後にはが無かったり、修復不可能なものはなるべく失う前に気付きたいし、無くなる前に行動したいと思うのが当然。

しかしどのようにきっかけを探そうにも

気付いていないのだから気付けるハズがない

箱の中に無いのに必死に箱の中を探しているようなものです。

両親が亡くなる前も感謝して親孝行をしていたとしても
「もっと(さらに)親孝行しておけば良かった」という答えになる場合もあるし、

つまらない事をきっかけに辞めてしまったルーティンや仕事を
「なぜ辞めてしまったんだ」いずれ同じ結果になるのでむしろ良かったのに悔やむ。
一度辞めようと思ってしまった事は結局いつか辞めてしまうのに。

変化が嫌なら変えなければいいし、
現状に納得出来ないなら変われば良いだけ…ではありますが

そう簡単に変われません、なぜなら箱の中に探し物は入っていないから。

木を見て森を見ず。

どれだけ汎用性の高い知識を得たとしても、それは限定的なある一点にのみ使用可能な知識であり、その森の中を歩いている限り森を見る事は出来ません。

また、一時的に離れたから、俯瞰して見られるから、責任があるからと言っても従業員、果ては重役であっても気付けない、なぜなら気付かなければいけない事に気付けないから。

いつも木を見ている自分に森を語るとはどういうコトだと怒る人もいれば

木の事も分からないのに森が分かるわけないと聞く耳を持たない人もいる。

常識が邪魔をし、常に「答え」を持っている人達と繋がっているのに、その答えにたどり着く事はありません、なぜなら気付いていないから。

適正な価格帯に詳しくなっても使う場所は知らない。
どんな性能を持った道具かは説明出来るが、なぜ必要なのかは分からない。

逆も然り。

・・

・・・

しかし私は思います、気付いていないんだから気付かないでもいいんです。
気付いてしまったから考えるのであって、失ってはじめて本質に気付いたのならそこから活かすしかないんです。

いつもの自分でいいんです。

あとは出来ればそうした気付かなかった事が起きても、それがいつでもどんな時でも冷静に対応出来る心構えがあるとなお良い気がします。

ではでは。

コメント